福山の革職人一家に生まれ、一度は音楽の道を志して東京へ。夢破れて工房に戻り、父の下で8年間修業した後、仕事もお客様もゼロの状態から2007年に独立。以来、革と、そして革に宿る命と向き合い続けてきました。
高校で兄のドラムセットに影響を受けバンドを結成。高校卒業後は東京で音楽活動を目指すも、生活のため江戸前寿司店で働きながらの二足のわらじに限界を感じ、「この状況、おかしい」と気づく。半年で福山へ逃げ帰った。
「ちょっと手伝え」の一言から気づけば8年。2004年、革のコンクールで初入選、以後5年連続入選を重ねる。それでも長男を優遇する父への想いが積もり、「上等だ。辞めてやるよ」と退職を決意。妻の「それなら独立したら?」という一言が、独立への舵となった。
父からの「お前は腕があるから大丈夫だ」という後押しを受け、レザースタジオサードを創業。仕事ゼロ、お客様ゼロ、開業のためのローンを抱えてのスタートだった。
異業種交流会で出会った、尊敬する先輩経営者。そこで芽生えたのは「東京からわざわざ、サードを目指して来てくれるような店」になるという大きな夢。目標にしていた観光ガイド本を本屋で探したが、福山の情報がどこにも載っていないことに気づき、悔しさをバネに「福山観光地化」、そして「サード観光地化」へと想いを深めていった。
瀬戸内海の多島美、水運の要「鞆の浦」、そして水野勝成公が広めた綿花栽培から生まれた伝統工芸「備後絣」。その藍色の幾何学模様は、後に福山を「日本一のデニム生産地」へと導いた。「歴史ある伝統産業と『革』を組み合わせた、唯一無二の特産品を作りたい」。そう考え藍染めに挑んだが、通常の藍染めでは革がプラスチックのように硬くなってしまう。取引先の染料屋という一級の専門家との出会いと、幾度もの試行錯誤の末、天然藍で美しく染め上げる「福山レザー」が完成した。染色から製作、販売までを、職人の手で一貫して行っている。
サードの理念は「Life with leather」。革のある生活をし、革と共に生きる。そして、革は命です。革は、命を営んでいた動物たちから受け継いだもの。立場や年齢は違えど、一人ひとりの命の価値は五分五分で対等。私自身と革も、「五分五分」だと考えている。一般的な革製品の歩留まり率は60%、残り40%は廃棄されてしまう。その現実に違和感を覚え、サードでは歩留まりを80%にまで引き上げている。こうした命を尊重する文化を、サードの活動を通して広めていきたい。
2020年、業界へのダメージが2年遅れてやってきた。来店客数の減少に加え法人向けの仕事が一気にゼロになり、黒字続きだった経営は一転して債務超過へ。「毎月毎月、お金がただ減っていくのを眺めることしかできない」。それでもスタッフを抱える経営者として折れるわけにはいかず、死に物狂いで新しい販路を開拓。2024年、黒字へと転換した。地道な努力は大切だが、それだけでは一瞬で崩される。堅実な努力を続けながら、同時に別の側面からチャンスを狙い続ける──その姿勢を、今も貫いている。
お子様の6年間の思い出に新たな命を吹き込む「ランドセルリメイク」。コロナ禍が明け高まる「体験」需要に応える「ワークショップ」。当初は遊び半分で始め、今では登録者1万人に成長した「YouTube」――遠く青森から来店してくださった方もいる。この3本の柱に加え、海外市場も見据えた「海外向けライブコマース」で、次の飛躍を目指している。
この想いは、ずっと変わらず抱き続けている。革職人を「憧れの職業」にできたら最高だ。「小学生のなりたい職業」トップ3に「レザークラフター」がランクインしている未来を、本気で目指していきたい。革の魅力と、命を繋ぐ文化を伝えるためにも、私が先頭に立ち、これからも全力で挑戦を続けていく。
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